40代? 遅くないよな。
子曰く、
吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳順う、
七十にして心の欲する所に従えども、
矩を踰えず。
私は十五才で学問を志し、
三十才で学問の基礎ができて自立でき、
四十才になり迷うことがなくなった。
五十才に天から与えられた使命を知り、
六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、
七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった。
現実は、僕も含め40代、
一番『迷いと後悔』がうごめいてるかも。
なんだかね
『こうなりたかった自分』や
『そのイメージにほど近い誰か』
と比べ
「ダメな(と感じている)自分 」
「イケてない(と感じている)自分」
「出来ない(と感じている)自分」
にフォーカスして自分に
「No」
「ダメ」
「カス」のレッテルを貼りまくる…
しんどかったです。。。
でもですね、それ「正常」だと思うんです。
特に40代以上の方で、
あなたが「真面目な人」だったり、
「ちゃんとした人」だったら。
デフォルトの設定がそれです。
「ちゃんとしてる」から
「安全装置」が働いてるだけ。
今のサポカー機能のついたクルマとおなじ。
「危ないかも!」 と判断されたら
「自動ブレーキ❗️」がかかるだけ。
ただ「自動ブレーキ」が
かかり過ぎたりするので、
スムーズに走れなかったりする。
それだけの事。
ちょっとしたことの積み重ねで
自体は変わってくる様に感じます。
自動ブレーキがかかりかけても
「大丈夫🙆♂️🙆♂️🙆♂️👌」の指令が出るようになります。
私自身のケースでは
① ありのままの本来の自分の「魂の向う先」がホンワカわかってくる。
② 本当に「欲しいもの/得たいもの」が見えてくる。
③ 「それ↑」を得る意味合いが腹落ちする。欲求が高まる。
④ あとは「実行、実行、実行。」
「実行、修正、実行。」
なんだか面倒そうに思えますよね。
でも実は
「何も変わらないでいいよーん」
なのです。
『あなたはあなたのままでOK🙆♂️」です。
が、
「全部」「今のまま」「そのまま」で
いいわけじゃないようです。
「一部」の選択を変えて行く必要があります。
「全部」ではない、「一部」です。
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